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月命日


はやいもので、最初の月命日を迎えました。まだ、パウがいない現実のほうが非現実な感覚。

上の写真、赤いポットの植物はナギ。葉脈が縦に入っていることから、切っても切れない縁という意味をもつ植物。お店にたくさん並んでいたナギのポット、ふたまたにわかれた枝がゆれるのが、ふたまたにわかれてぷりぷりふっていたパウのシッポとシンクロして、おもわずこの苗を選びました。

パウは毎日だっこで、ベランダの外の樹をみたり、香りをかいだりするのが大好きだったので、この赤いポットをだっこしてベランダに出たりしてます。なんて書くと廃人みたいな感じですが、べつにそんなこともないです。そんなこともないのですが、ただ、ただただひたすらパウのことは恋しいです。ふつうの日の、あたりまえだった幸せな時間を思い出すと、たまらない気持ちになります。

冬は枯れてすこーんと陽の差し込む窓ですが、真冬以外は1年中、気持ちのいい緑、木蓮の白い花、紅葉、季節をたのしめる窓の景色。パウは窓の外をみられる場所がお気に入りでした。だからパウの祭壇はここ。もう、パウを撮ることができないんだな、パウの写真が増えることはないんだな と思うと、本当に寂しい。

夜、電球のしたで撮ったので黄色い画像ですが

来月のお盆と、今年のDía de los Muertos(メキシコの死者の日)は、ものすごくにぎやかに飾り付けをしようと思ってます。

しかし、緑ってやっぱり大事だなって思う。パウを抱きながらみていた毎日の景色を、ひとりで見るのはどうしようもなくさみしいけれど、いっしょに見てるような気になるときもあるんですよね、ふとしたときに。樹を介して部屋に入る風は、とても爽やかでやさしい。

先日新宿シネマートでグッド・ハーブというメキシコ映画を観てきました。そんなシーンもあって、心揺さぶられる映画でした。

パウを迎えたのは1999年6月。
わたしの母が他界したのは1999年12月。

どんな動物もめろめろにしてしまう力をもつ母に、パウもめろめろ。
しかしそれ以上に、母がパウにめろめろでした。本当に、初孫のように可愛がって。

パウのおかげで、母の人生最後の半年間が、どれだけステキで楽しいものになったことか。
母が他界したとき、パウのおかげでどれだけ悲しみや空虚感から救われたことか。
パウは母とわたし、逝く者、遺される者のどちらも癒やしてくれた存在。

パウは散歩中もたくさんの人の心を癒やしてました。
笑顔にはシッポをふってこたえ、車椅子のお年寄りがだっこしたいと言えば、たのしそうに、穏やかなやさしいしぐさでお年寄りに抱かれてた。

パウのおかげで、「きょうは楽しい1日だった」と思ってくれた人が、どれだけたくさんいたことか。

いまは、他界した直後とは違う、しかし直後よりも厳しいかもしれないと感じる苦痛もあります。でも、思い出すのはパウのたのしそうな顔ばかり。さみしくてせつないけど、たのしそうな顔ばかり浮かんでくるのって、飼い主にとっても、パウにとっても、最高にしあわせなことなんじゃなかろうかとおもって静かに過ごしています。

PS.
最近よくinstagramに投稿してるんですが、黒チコ画像、よかったらみてくださいね

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